色は、目で見るものじゃなく、頭で考えるものだった
「この赤、きれいだね」
そう言われても、私にはその“きれいな赤”がどんな色なのか、いまいちピンとこない。
目には映っているのかもしれないけど、“赤”だと確信できる手応えがない。
もしかしたら私は、ずっと「色が見える」という感覚が、分からなかったのかもしれない。
色は「感じる」ものではなく、「知っていく」ものだった
小さいころから、私は色を“意味”として覚えてきた。
- 🍅 トマトは赤 → じゃあこの色が赤なんだ
- 📮 ポストも赤 → だから似てるこれも赤なんだ
- 🟥 信号の左側が赤 → ならこの位置が赤だ
色は、目に訴えてくるものではなかった。
むしろ、“他の人がそう呼ぶからそうなのだ”と納得してきた。
私にとっての色とは、「記憶と意味の組み合わせ」で構成された、頭の中の世界だった。
色覚異常者は、色を“構築”している
色覚異常の私たちは、色を「そのまま感じる」ことが難しい。
だからこそ、たとえば次のように判断する。
- 💬 名前がついている → ラベルで判断
- 📍 並び順で覚える → 位置で判断
- 🧪 絵の具の混ぜ方 → ロジックで判断
つまり、色を“考えて”理解している。
色を見ているというより、色を組み立てているのだ。
見えないからこそ、色を深く考えるようになった
自分が見えていない色のことを、ずっと想像してきた。
「赤って、どうして情熱の色なの?」
「空が青いって、どういうこと?」
答えは出ないけれど、その疑問に向き合い続けたことで、
私の中には“言葉にならない色の風景”が生まれていった。
Color:Reから伝えたいこと
色覚異常の世界は、ただ“色が欠けている”わけではありません。
色を、目だけでなく頭でも心でも捉えている。
だからこそ、私にとっての「色」は、他の誰とも違う意味を持つ。
見えていないからこそ、私は色を考え続けている。
それはきっと、不自由ではあるけれど、美しくもあるのです。
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