色は考えるものだと思ってる、今でも

2025年4月21日月曜日

色の見え方

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色は、目で見るものじゃなく、頭で考えるものだった

「この赤、きれいだね」

そう言われても、私にはその“きれいな赤”がどんな色なのか、いまいちピンとこない。

目には映っているのかもしれないけど、“赤”だと確信できる手応えがない。

もしかしたら私は、ずっと「色が見える」という感覚が、分からなかったのかもしれない。




色は「感じる」ものではなく、「知っていく」ものだった

小さいころから、私は色を“意味”として覚えてきた。

  • 🍅 トマトは赤 → じゃあこの色が赤なんだ
  • 📮 ポストも赤 → だから似てるこれも赤なんだ
  • 🟥 信号の左側が赤 → ならこの位置が赤だ

色は、目に訴えてくるものではなかった。
むしろ、“他の人がそう呼ぶからそうなのだ”と納得してきた

私にとっての色とは、「記憶と意味の組み合わせ」で構成された、頭の中の世界だった。




色覚異常者は、色を“構築”している

色覚異常の私たちは、色を「そのまま感じる」ことが難しい。

だからこそ、たとえば次のように判断する。

  • 💬 名前がついている → ラベルで判断
  • 📍 並び順で覚える → 位置で判断
  • 🧪 絵の具の混ぜ方 → ロジックで判断

つまり、色を“考えて”理解している。

色を見ているというより、色を組み立てているのだ。




見えないからこそ、色を深く考えるようになった

自分が見えていない色のことを、ずっと想像してきた。

「赤って、どうして情熱の色なの?」

「空が青いって、どういうこと?」

答えは出ないけれど、その疑問に向き合い続けたことで、
私の中には“言葉にならない色の風景”が生まれていった。




Color:Reから伝えたいこと

色覚異常の世界は、ただ“色が欠けている”わけではありません。

色を、目だけでなく頭でも心でも捉えている。

だからこそ、私にとっての「色」は、他の誰とも違う意味を持つ。

見えていないからこそ、私は色を考え続けている。
それはきっと、不自由ではあるけれど、美しくもあるのです。



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プロフィール

色覚異常の社会人。 普通の生活ができないわけではないけど、色覚が普通にハンデになることも多い。 何か同じように気になる人がいれば共感して一緒に考えたいと思っている。

どうして自分だけが? 色覚異常と“遺伝”という目に見えないつながり 「なんで私だけが、色がわからないんだろう?」 子どものころからずっと不思議だった。 家族に色覚異常の人はいないし、誰にもそんな話を聞いたことがなかった。 でも、...

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